2024年 (令和6年)
5月6日(月)
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 4月12日(土)に開催した『エディター養成講座』。北海道の人気雑誌「スロウ」編集部のエディターを講師に招き、文章の書き方、インタビューの仕方などを学びました。
 最終回は、幕別町内で頑張る商店に実際に取材へ。参加したみなさんは、インタビューが終わる頃にはエディターの顔になっていました!
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 木川商店のレポートはこちら


『老舗鮮魚店を訪ねて』

 幕別町本町で昭和22年に創業した老舗鮮魚店。店主の斉藤栄一さんは、昭和11年生まれの78歳。奥さん、息子さんと共にお店に立つ。editer saito 07

 「昭和20年に樺太から家族8人で引き揚げて来たときは,、小学校3年生だった。食べるものや着るものがなく大変な時代だった。白いご飯が食べたくて、向かいの豆腐店の店先に並ぶおからがご飯に見えたね。自転車やそりで店の配達も手伝い、隣近所へ御用聞きにも行ったよ」と懐かしそうに話す。
 お店の創業時のことを尋ねると、「母親が、樺太で鮮魚店を開いていたこともあり、現在の幕別本町にある北洋銀行駐車場の5軒長屋で開店したんだよ。他には、飴屋や靴店もあって、冷蔵庫がない時代だったからムシロに魚を並べて売っていた。高校時代は、エンジニアになりたいという夢があったから、店を継ぎたくなかったんだけどね。8人兄弟の5番目で長男だったので、高校を卒業してからお店の仕事をするようになった。当時は周囲に亜麻工場や新田ベニヤ工場があって、景気も良く活気があり、魚屋も12軒あったんだけれど、今はうちだけになっちゃったね。最近は住民も少なくなって、お客さんとの会話や近所の人とのふれあいが減ったのが寂しい」と話してくれた。
 息子さんの剛さんは、現在52歳で昭和60年にお店を継いでいる。「最初は店の仕事はしたくなかったんだけれど、今はお客さんに魚のおろし方や煮つけの方法など、料理を教えるのが楽しいです。仕入れをしてそのままでは売れない時代なので、干物や総菜も作っているんですよ」と話す。店内にはカレイやニシンなどが並び、剛さんはカレイを手際よく刺身にしていて、おいしそうだった。editer saito 02 栄一さんの「これからも元気なうちは、仕事を続けていきたい、ものづくりは楽しい。孫が4代目を継いでくれるとうれしいね」という言葉が印象的だった。幕別町本町地区の老舗鮮魚店として、今後もお客さんとのふれあいを大事にしながら、新鮮でおいしい魚を販売し、魚食文化を伝えてほしい。栄一さんにはいつまでもお元気でいてほしいと思いながらお店をあとにした。

取材先:斉藤鮮魚店
執筆者:安達裕子

 


『頼れる町の魚屋さん』

 個人商店に行くのは一体いつぶりだろうか? 学校指定の文具を買う必要がなくなってからは、さっぱり行くことがなくなった。
 「私の知っている魚屋さんと違う…」。
 まず店先に並んでいたのは、ネット入りのミカン類。ネット入りは久々に見たな、というかミカン? と不思議に思いつつ看板を見上げるが、そこにははっきりと「斉藤鮮魚店」の文字。今回取材にご協力いただいたのは、斉藤鮮魚店2代目・斉藤栄一さん。素人取材陣がまごついていると、自ら話題を提供して話をひろげてくれた。さすが接客歴60年を超えるプロ。editer saito 06 斉藤鮮魚店の始まりは昭和22年。現・北洋銀行駐車場にあった長屋に、初代店主である斉藤さんの母親が開いた店だ。長屋は夜になると星がよく見えるし、とても風通しのよい建物だったと斉藤さんは笑いながら語った。
 現在の店舗に移転したのは約60年前。前述のミカンのように、斉藤鮮魚店には魚屋らしからぬ品物がたくさん並んでいる。野菜に果物、カレールーやお菓子、そして洗剤やお肉。斉藤さんが手ずから揚げる天ぷらまで。こちらの天ぷら、なんと、天ぷら屋の店先で揚げている所を毎日見ていたら覚えてしまった、という一品。
 店内を見ていて気になったのは、とあるメモ。「中央保育所 おやつ見本 5月10日遠足」。見学にでも来るのかと尋ねてみると、保育所の遠足用におやつのセットをつくっているのだそうだ。十勝毎日新聞にも掲載されたことがあるが、斉藤さんは昭和46年から子ども会の活動を映像記録に残し続けてきた。このように、町を見守り支えてきたからこそ、斉藤鮮魚店には魚に限らず様々な注文が入るのだろう。editer saito 01 魚以外のことばかり書いてしまったが、もちろん鮮魚店というだけあって、スーパーではなかなか出会えない魚や自家製の干物など、おいしそうな魚介類が並んでいる。目の前で捌かれる魚を見て思わず「…おいしそう」とつぶやいてしまった。
 斉藤さんと会話をしながら、町のお店は店員との他愛ない会話が良いのだよな…と改めて思った。

取材先:斉藤鮮魚店
執筆者:野口綾香

 


 『大きな根をはった町の魚屋さん』

 町の中にしっかり溶け込んでいる。斎藤鮮魚店は、そんなお店だ。中に入ると、ちょっと魚の匂い。
 店内には魚だけではなくお菓子なども売っていて、コンビニのような店内になっている。ついつい目移りしてしまう。店の奥には立派な魚の解体場があり、台の前には新鮮なカレイやヒラメが並んでいた。取材の途中、ここで3代目が魚をさばく所を見せてくれた。作業をしながら、注文があれば、魚のさばき方から、煮つけのやり方のレクチャーまでしていると話してくれた。

editer saito 04 そんな斎藤鮮魚店を切り盛りしているのは、2代目店主栄一さん、栄一さんの奥さん、3代目になる息子さんの3人だ。
今回は、店主の栄一さんのお話を中心に聞いた。こちらの質問に、年齢を感じさせないはきはきとした口調で答えてくれた。「結婚したのはいつ頃か?」という質問には照れ臭いのか、奥さんに答えさせるなど、微笑ましい一面も。
 お話を伺っていると「町の魚屋さん」という単語が、ふっと頭に浮かんできた。今の時代、○○○屋さんと名のつけたくなるお店は、幕別町からどんどん消えてしまった。専門店よりもスーパーなどの複合店のほうが、いろいろあるし、買物も時間短縮になるだろう。しかし、斎藤鮮魚店のような温かさや、店内から感じられる歴史には乏しい。
 この店は栄一さんの母が、樺太から引き揚げた後に苦労して建てたそうだ。当時、幕別町には12件の魚屋があり、450人のお客さんをつけなければ、店を出すことすらできなかった。栄一さんの母は、他のお店で働きながらお客さんを見つけ、店を建てた後、そこで家族10人を養ったという。
 当時小学校3年生だった栄一さんは、積極的に配達やご用聞きをして店を手伝った。将来は手先の器用さを活かしてエンジニアになりたかったらしい。しかし、母が苦労して建てた店を放っておくことができず、跡を継いだ。8人兄弟の中で男性は栄一さんと末っ子だけ。しかも英一さんは長男だったからだ。
 3代目も札幌で魚屋をしたいという夢を持っていたが、店への思い入れがあったのだろう、幕別へ戻って来た。2人とも違う道を目指していたのに。家族のために、この道を歩んだ。
 そのおかげで、斎藤鮮魚店は今も残っている。町にしっかり溶け込んでいる理由が、少しだけわかったような気がする。
 斎藤鮮魚店は幕別町に大きな根を張った、すてきな魚屋さんだった。

取材先:斉藤鮮魚店
執筆者:浦辺実奈