図書館を一緒につくるサポーター「まぶさ」のメンバーと、そのアーカイブをご紹介。幕別町の文化・歴史・自然、多彩な人、ユニークな物、かけがえのないものが詰まった宝庫です!
三角兵舎って知ってる? それは、半地下に掘って柱を立て、三角屋根を架(か)けた兵舎のこと。ぱっと見、屋根しか見えないし、枝とかで隠したりもしたそうだ。鹿児島県知覧のを知ってるなら、中央通路の左右に寝床がある兵舎の画像を見たことがあるかもしれない。他に、板張りの床のもあったそうだ。兵舎は大きさも中の様子もいろいろあったけど、統一規格の材料を組み合わせて作り、短期間で建てることができたみたい。
十勝にも、帯広や芽室など旧日本軍部隊が駐屯した場所にどんどん建てられた。でも戦後しばらくして殆どが壊され、跡形もなくなってしまったようだ。
ところが、三角兵舎の掘り跡がたくさん残ってる場所が、十勝にも1ヵ所だけある。しかもこの幕別に。それは、止若橋の西、白鳥大橋へ向かう道との交差点を越えてすぐ。国道38号を挟んだ南北の森の中にある。第七師団(熊部隊)が旭川から帯広に移ってきたので、南の林には第1野戦病院が、北の林には病馬廠(びょうましょう=療馬収容班りょうばしゅうようはん=動物病院)が、終戦の前年に設置されて1年ちょっと使われた。そこは、畑にも宅地にもならなかったから窪地が残ったんだろう。
三角兵舎想像図
2012年ふるさと館郷土史部会が、三角兵舎跡を調べ、北に14ヵ所、南に9ヵ所の跡を計測した。調査結果は、その年の夏、展示企画「幕別と戦争」で報告された。
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北の森の話も一つ。 北の森と国道38号線の間の篠島美子さんの庭先に旧病馬廠(びょうましょう)のものと思われる竈(かまど)がある。穴の数は3つ。コンクリート製だ。病馬廠(びょうましょう)は、軍馬を管理する補充部隊の役割もあったようだが詳細は知らない。
ふるさと館郷土史部会は2012年6月にこの背後の森も調査している。
11m×5.5mの小型兵舎跡が10ヶ所
22m×5.5mの大型兵舎跡が4ヶ所
計14ヵ所の窪みが確認された。
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そうだ、ユングが好きだったんだ、私。 「まぶさ(幕別ブックサポーター)養成講座」の課題で、数十年前の自分と思わぬ形で「対面」した。課題は「○○な○○」という空欄を埋める形で自分を定義するというものだった。最初は気軽に記していたが、20個はつらい。頭をひねっているうちに「フロイトも悪くないと考えるユング好き」という言葉が浮かんできた。
ユングに出会ったのはさだかではないが、高校生ぐらいだったと思う。夢分析にはまり、夢日記をつけていたこともあったなあ。人間を「内向」「外向」に分け、さらに「思考」 「感情」「感覚」「直観」に分類したら、私は何だったっけ? 人類に共通する集合的無意識なんていうのもあったなあ… と思いを巡らしているうちに、無性にユングに関して調べたくなった。幕別町図書館などで何冊も本を借り、読みふけった。
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