ジャンル分類と50音順の並べ方だけだと、本が孤独に見えることがあります。本を文脈でつないでみると、本と本がつながって、違う表情が見えてきます。なぜ、三冊かというと・・・
井上ひさしは「ニホン語日記」にこう書いています。『混沌たる時の流れを過去・現在・未来と三つに区切ると、時間が辛うじて秩序だったものになる。鮨屋の主人は自店のにぎりを「松・竹・梅」 に分け、鰻屋の亭主は自店の鰻丼を「特上・上・並」の三つに分けて、店の売り物のすべてを表す。混然としたものを一つで言ってはわけがわからない。二つで言っても据わりがわるい。三つに区分して言うと突然、構造が安定し、混然としたものの正体が見えてくる』
本と本 本はつながる。
本と人 本とつながる。
人と人 本でつながる。
さあ、「三冊堂」!開店のお時間です。
2人の性格と関係性を比べてみると見えてくる。絵本の世界から友達関係、3つの物語。まずは『あらしのよるに』から。主人公は〝おおかみ″と〝ヤギ″。『おおかみと7匹の子やぎ』を思い浮かべるとわかることですが、2人は友達にはなれない間柄。ただ、2人の出会いは特別でした。出会ったのは、あらしを避けるための、まっくらな小屋の中。相手が天敵であり、ごちそうであるとは知らなかったのです。「お互い話が合うね~、明日もお会いしませんか?」なんて気さくに仲良くなった2人でしたが、シリーズ6編を通して、友情の深さがためされる数々の試練が訪れます。もしもあなただったらどうしますか?読後に教えてください。「食べたいけど、友達だから」と欲望を抑えるオオカミさんが健気。
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情緒障害児を教えるトリイの教室に来た6歳の無言症の少女シーラ。垢で黒ずんだ顔に敵意むきだしの目をしたその子と辛抱強く接していくうちに、彼女が知的障害児どころか、ずばぬけた知能の持ち主であり心身に虐待による深い傷を負っていることがわかります。『シーラという子』は、トリイの献身的な対応で固く閉ざされた心をおそるおそる開いていくシーラの姿の置かれた状況に怒りを覚えながら読み進めることになるかと思います。これがノンフィクションだなんて…。
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