8月20日(日)から9月7日(水)まで、幕別町百年記念ホール、幕別町図書館において、まぶさLED(まくべつBOOKサポーター/図書館エディター)によるハンセン病のパネルと本の展示、『知ってる? ハンセン病のこと』を開催します。
教師という仕事を持ち、プライベートでは妻と子供2人に恵まれ順境であった明石海人がハンセン病を発症したのは、25歳のとき。家の支援を受けながらありとあらゆる治療を求めましたが、病勢の悪化で両目の視力を失い、37歳でその生涯を閉じました。さまざまなハンセン病に関わる資料で目にするのが、家族の死に目に会えない、葬儀に参加できないつらさ。明石海人の歌の中にも、いくつかその悲しみを詠んだものがあります。‐‐世の常の父子なりせばこころゆく歎きはあらむかかる際にも‐‐ 「新万葉集」にとられた、次女の死を葬儀が終わってから知らされたことを詠んだ歌。つらいの一言では済まされない感情が渦巻きます。『明石海人歌集』。
人類史とともにあったハンセン病をめぐる問題は、「いじめ」や「テロリズム」などとも深く結びついた、われわれが背負った大きな負の遺産。
表に出てこないだけで、誰もがハンセン病の菌は持っている。にもかかわらず病者を差別する。
怨念を怨念で返しても未来はない。許す心にこそ明日がある。
(以上、本文より)
衝撃的な言葉、胸に沁みる言葉、愕然とする写真、熱いおもいが込み上がる写真。ハンセン病のさまざまな側面が散りばめられた『ハンセン病【日本と世界】』。この一冊で、ハンセン病とその背景にあるものを知ることができます。
東村山市にある多摩全生園。そこは、昭和35年まで患者の逃亡を防ぐため3メートルにも及ぶヒイラギの垣根で覆われた、入ると二度と戻れない「ヒイラギの檻」で囲まれていたそうです。治療をするためではなく、強制的に収容するための施設だったハンセン病療養所と、そこに暮らす人の生活の現実をつぶさに語った『ヒイラギの檻』。垣根の高さは、なかなか越えられない差別という壁の高さ。こんなことが本当にあったのかと、ページを繰るのにためらいが生まれます。 MCL編集部(そ)
三冊堂256 (2016/08/11)