2024年 (令和6年)
7月17日(水)
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 正月に田の神さまを迎える目印として門に立てる門松は、もとはサカキやキシミが用いられていたものが、中国でめでたいとされるマツを飾るようになったことから門松と呼ばれるようになり、現在のマツよりタケが栄えるようになったのは、戦国時代以降のことなのだとか。そういった、日本人が長く伝えてきた文化や歴史にはルーツがあり、そのルーツには人びとだけではなく植物の進化の歴史が関わっているそうです。植物のルーツをひもとくことで、人びとの文化や暮らしに潜むドラマに迫る『蝶々はなぜ菜の葉にとまるのか』。

 石川県奥能地方には、「アエノコト」という仕事を終えた夫婦神の田の神さまを迎えてもてなす農耕神事があり、それは、準備した膳を勧めたり、お風呂へ案内したりするなど、見えない神と対座する不思議な祭りなのだそう。北海道の木古内町で行われる、4人の若者が1月13日から佐女川神社にこもり、何度も冷水をかぶって鍛錬を行い、15日に厳寒の津軽海峡の中でご神体を潔め、1年の豊漁豊作などを祈願する「寒中みそぎ」など、長くその土地の人びとに親しまれ、郷土の文化として根づいている奇妙な祭りを紹介。『日本の奇祭』。
 民俗学者、宮本常一の講演録。本来、祭りというのはお互いの持っている感情がひとつになるということが最大の目的で、兵庫県の淡路島が玉葱で日本一の産額を誇れるようになったのは、明治32年頃に消えてしまった「盆踊り」を復活させ、みんなの気持ちを一つにさせたことにありました。主体的に参加できる日本の祭りの文化こそ、むらをつくり連帯を生み出してきた源であり、昔は見る者と演じる者とがごちゃまぜになって参加していたものが、今日では別々になってしまったことから民衆のほんとうのエネルギーが生み出されないと著者は述べています。祭りをとおして地域や土地、ふるさとや生活というものについて深めてみたくなる『宮本常一講演選集3』。

 三冊堂201号 (2015/07/23)