2024年 (令和6年)
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 七人の息子を持つ母親が、子供たちが兵隊にとられていくたび、裏の空き地に一本ずつキリの木を植えていきました。それぞれに息子の名前「一郎」「二郎」…と名づけ、息子を世話するように毎日声をかけて世話をしていた『おかあさんの木』。戦地に行くことを栄誉に思っていた。「お国のためにがんばれ」と声をかけていた。まるで暗示にかかったみたいに「お国のために」という言葉を。一人、二人と子どもたちの戦死が告げられると、木に対する母親の言葉は変わっていく。名誉の戦死なんてしてほしくない。本当の素直な気持ちは、生きて自分のところに帰ってきてほしいということ。「日本じゅうの、とうさんやかあさんがよわかったんじゃ。みんなして、むすこをへいたいにはやられん、せんそうはいやだと、いっしょけんめいいうておったら、こうはならんかったでなあ。」

 小説の書けない作家Tが母の故郷を訪ね墓参りするため列車に乗る。うたた寝をしているうちに母の夢を見る。言葉を大切にせよ、言葉で闘え、お話を作り続けよ。母はそう語りかけてくる。目的地の駅に着くとそこは別の日本。金髪のアングロサクソン系人種が英語をしゃべり、みな緑色の制服を着た世界であった。従来の日本人は旧日本人と呼ばれ、居住区に隔離され差別されていた。「我が国とアメリカによる戦争は世界各地で順調に展開されています。いつも申し上げる通り、戦争こそ平和の何よりの基盤であります。」と煽る『宰相A』。作家Tは反体制運動のリーダーと崇められ、日本軍との闘いに巻き込まれる。
 「きり拓き 創りあげる人に」を教育目標に、先人から強靭な精神を受け継ぎ、未来を担う人材を育成してきたその校風から「自由の学園」とも呼ばれ、伝統的に生徒の自主性と自治会活動が尊重されてきた北海道深川西高等学校。1954年9月、サークル活動について新聞に誤った報道をされた生徒が抗議の自殺をした。『北海道深川西高校「あゆみ会事件」』は、戦後の「民主教育」を掲げた学生運動などが活発だった校内の雰囲気を危惧した当時の校長や教育委員会、公安が、あたかも日本共産党の手引きで行われているかのようにマスコミを通じて圧力を加えようとしたのが真相であった。事件を契機に真実を求めて生徒、教師たちが戦後の反動攻勢に抗いながらどのように民主主義を獲得していったのかを記す、「あゆみ会」担当教師だった著者が亡くなった生徒と現代に送る鎮魂と警世の書です。 MCL編集部(敬昌)

三冊堂196号 (2015/06/18)